2006年04月13日 ドイツ情勢

ドイツSPD:プラツェック党首が病気辞任、後任はクルト・ベック氏

クルト・ベック
© European Community, 2006
新しくSPD党首に就任するラインラント=プファルツ州首相のクルト・ベック氏。本職は電気機械工。

ドイツの連立与党である社会民主党(SPD)のマティアス・プラツェック党首が、中央ヨーロッパ時間10日、健康上の理由による辞任を表明した。後任には、クルト・ベック(Kurt Beck)ラインラント=プファルツ州首相が就任する。

プラツェック党首の説明によれば、年の変わり目に一度目の聴力低下が起きたが、深刻なものとは考えなかった。しかし、2月11日に循環器障害・神経障害が起こり、さらに、3月29日には二度目の聴力低下が起こり、聴力がかなり失われたという。プラツェック党首は、医師の勧めに従い、党首を辞任することを決意したという。

プラツェック党首の辞任はまったく予想されていなかったため、ドイツの政界には驚きが広まった。しかし、ベック新党首は保革連立の従来路線を引き継ぐとしているため、動揺は少ない。

プラツェック党首は、フランツ・ミュンテフェーリング前党首(現・連邦労働大臣)の後任として、昨年11月15日にSPD党首に就任した。プラツェック党首は、メルケル首相とともに旧東ドイツ出身の政治家として知られている。

プラツェック氏は、連邦大臣に就任したマンフレート・シュトルペ氏の後任として、2002年にブランデンブルク州首相に就任した。ブランデンブルク州は、旧東ドイツ地域に属する州(いわゆる「新しい州(neue Bundesländer)」)の一つで、プラツェック氏は現在も州首相をつとめており、党首辞任後も(必要な静養を行って)引き続きつとめるとした。

新しく党首に就任するクルト・ベック氏は、1949年2月5日生まれの57歳。左官の子として、バート・ベルクツァーベルン(Bad Bergzabern)に生まれた。国民学校を卒業後、電気機械工としての修業を修了し、バート・ベルクザーベルン陸軍修理工廠の無線機械工となった。

1972年にSPDに入党し、1974年にはジュートリッヒェ・ヴァインシュトラーセ(Südliche Weinstraße)郡議員となった。1979年からは、ラインラント=プファルツ州議会議員も兼任。さらに、1989年には、シュタインフェルト(Steinfeld)市長にも就任して兼職した。

1993年にSPDラインラント=プファルツ州支部長となり、1994年10月26日に、ルドルフ・シャルピング(Rudolf Scharping)の後任として同州首相に就任。1996年、2001年、今年の三度の選挙に勝利して現在まで同州首相をつとめている。今年の州議会選挙では、躍進して単独過半数を制し、それまでの自由民主党(FDP)との連立が解消された。

また、2003年にはSPD連邦副党首となり、以来、連邦の国政にも参加している。